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看護学生の心情
握られた手に感じる安らぎ
職業としての看護
強制医療
看護学生の実態?
看護は女の世界?
看護師の心情
患者の心情

握られた手に感じる安らぎ

 私は幼い頃から病院のお世話になってきました。もちろん全く医療のお世話になっていない人などいないでしょうけど、私は1歳の誕生日を病院で迎えたほど。それから私は医療・病気というものと共に生きてきました。そのため、小さい頃から医療にとても関心を持っており、ずっと医者になることを目指していた訳ですが、高校2年のある出来事をきっかけに看護を目指すようになりました。

 高校2年の時、体育の授業で柔道をしました。ちょっと張り切り過ぎた私は、お腹を強打。なんと消化管出血を起こしてしまったのです。その出血量は半端でなく、ヘモグロビン値が6.6にまで下がったほど。もう座っていることもできないような状態でした…。それから、出血部位を特定するために胃カメラを飲むことになったのですが、その胃カメラは予想以上に苦しく、顔を顰めていると一人の看護師さんが手を握ってくれました。そのとき、「あぁ、自分を見守ってくれている人がいる」と、とても心が安らいだのです。看護師は医者の補助と考えていた私には、強烈な経験でした。この時から私は、看護という進路を考え始めました。

 そして私は看護を学び始めました。中学校の卒業文集には「将来、医療関係の仕事に就く」と書いてある。私は今、子供のころの夢に向かっているのだ…。

2000/01/03(Mon)
職業としての看護

 現在、看護を学び始めて思うこと。これが本当に自分の天職なのだろうか…という迷い。

 私は看護が好きだから看護の道を歩んでいるのだろうか?

 正直なところ、たくさんの課題や実習に追われることにストレスを感じる日々…。今の段階で、「看護を好きか?」と聞かれたら、「好きではない」と答えてしまう。もちろん嫌いではなし、すばらしい進路だと思うけど、胸を張って「看護が好きです!」と言う気にはなれない。

 現段階では、ほとんど講義しか受けていない状況だから、本当の看護をわかっていないだろうし、これから実際に患者さんと接する機会が増えていけば、看護の良さをもっと理解できるのかもしれないけれど…。

 以前、就職を控えた看護学生の友達から手紙をもらった。その中に、「今の生活やだー。看護以外の道に行こうかなー。」らしいことが書いてあった。本人としては冗談のつもりだったのかもしれないけれど、そのとき私はこう思った。

 「そんなに嫌なら何も我慢せんでも別の道に行けばいいのでは?」

 そう思ったとき、では自分はどうなんだろうって考えた…。よく考えると、やはり私も看護が好きだからではなく、人の役に立つことがいいことだから看護を目指しているということにきづく…。

 「アレ? それって同じようなもんじゃないの? 好きでないのに良いことだから看護をやるって、結局は我慢してやるってことかな? それは私にとって最上の道なのかな?」

 という迷いのようなものが…。

 もちろん、この進路を選ぶに当たって私はよ〜く考えた。男ながら看護を選ぶにはそれなりの勇気が必要だったのです。そして、悩んだ結果、本当に看護が良いと思ったから、今に至るわけだけど、その選択肢の根本には「大学」というものがあった。恥ずかしながら学歴を無視できずにいたということですね。

 大学で最も学びたいことは看護。これは間違いないけれど、学歴とか世間体とか全く考えなかったら、どうなんだろう?って…。

 実は汗まみれ・泥まみれで牧場で働くのが性に合ってるかもしれないし、油まみれでバイクをいじくってるのが性に合ってるのかもしれない。自分が本当は何をしたいのだか、よくわからなくなっている。



 ある友達が言っていた。「人間というのが根本にあるから、1人1人に違った看護ができるというのが面白いと思う。」

 これは私も同感できる。アルバイトとしてやっていた家庭教師や塾講師の経験からである。当然のことながら生徒にもいろいろな子がいるわけで、それぞれの生徒に合った指導の仕方などがある。確かに、ひとつの型にはまってないということはおもしろい。

 それに、自分の生徒がいい成績をとって明るい顔して来ると、私としてもうれしいし、悲しい顔していると私も悲しくなってくる。人と接する仕事の楽しさは、こういうところにあると私も思う。



 私が医療、特に看護という進路を目指した根本的な理由として、

 「自分の目の前に苦しんでいる人がいるとして、今の自分に何ができるだろう? 何もできない。そしたら私はすごく後悔するんじゃないかな? 特に、それが自分の家族だったり、友達だったり、愛する人だったりしたら・・・」

 「今、自分が良いことだと思っていること(ちょっとした人助け)を当たり前のことだと思えるような人間になりたい。」

というのがあった。

 つまり私は「看護」を職業というより、実生活に役立つ知識・技術と考えているのかもしれない。

 こんな程度の思い入れでいいものなのかな?と、ちょっと疑問。。。

 「自分にとって素晴らしい進路=自分に合った進路ではない」ということを感じ始めた私。同じように感じる看護学生はいないでしょうか?

2000/01/03(Mon)
強制医療

 私が現在の医療について思うことは、「ちょっと強引すぎじゃないかな?」ということ。

 治すために他に良い手段がないということで、仕方がないと言えばそれまでなのだが、はっきり言って苦しい。一時的な苦しみは病気のそれを凌ぐ。

 例えば、普通に行われている胃カメラの検査でも相当に苦しい。もう勘弁してくれって感じです。でも、医療関係者たちは、「胃カメラは昔と比べて相当に小さくなってるから、そんなに苦しくないでしょう?」みたいなことを言う。

 大抵の医療関係者はそうなのだろうけど、自分が経験していないことを患者に実践している。自分は一度も経験していないのだけれど、人には何度もやっていることだからといって、その処置を理解できたつもりでいる。

 でも、実際は経験してみないとわからないこともいっぱいある。もちろん、同じ処置をしても苦しいと感じる人とそうでない人がいるでしょう。

 胃カメラを苦しいと感じたのは、もしかしたら私に根性がないからなのかもしれない。しかし、何と言われようが実際に私は苦しいと感じたのです。それを理解できないような人に私の看護・治療ができるのかどうか疑問です。

 看護を学び始めてから、『コミュニケーション技術論』という講義の中でこのようなことについて習いました。…ということは、たまたまその医療関係者に教養が足りなかったということでしょうか?

 実際の話、しっかりわかってくれる看護師さんもいますが、そうでない看護師さんもいます。自らが経験していないことに心から共感するのは難しいことなのでしょうけど、良い看護を目指そうとするのなら、是非、患者の気持ちを尊重できるようになってほしいものです。

 また、私はそのような看護ができるようになりたいと思っています。



 私は以前、診察の途中で帰ってしまったことがある(自分で言うのも何だが、私は頑固オヤジのような人間なのだ)。これから少し、そのときの話をしたいと思います。

 それは私が看護を目指す原因となった高校二年のときの話。最初はお気に入りの小さな医院で診てもらった(受診は下血による)。しかし、入院施設を持たない小さな医院では対応し切れないということで、某総合病院を紹介され、緊急に入院して精密検査を受けるように言われた。

 言われるがまま、その紹介された病院に行ったのだが、そこの医師の態度にキレた。その病院の雰囲気からして陰険で、清潔感がないというのも関係しているのかもしれないが…。

 とにかく、その医師は完全に“物”に対しているような事務的な態度で診察していた。表情ひとつ変えず、こちらの苦痛など御構い無しにただ命令するだけ…。

 そのとき、私は考えた…

 「私は今、危機的な状況にある。この状況をこの医師に託していいのか? 高度な施設や知識があると言われても、私はこの医師を信頼することができない。だったら、少しくらい未熟な施設でも信頼できる医師のもとで治療する方が私のためではないのか?」

 診察の途中ではあったが、私はそのまま帰ることにした。そこでその医師がとった行動は、また驚くべきものだった。

 診断もできていないのに薬を出してきたのだ。それも4週間分。完全に間違っている。(一度に出して良い薬は2週間分まで。)

 結局、私はもとの小さな医院に戻り、3週間ほど毎日通って治しました。総合病院でもらった薬も、信頼できる医師に見せて説明をしてもらいました。

 この経験から私が感じることは、「もっと患者に選択肢・権利を与える必要があるのではないのか」ということです。

 『患者中心の医療・看護』と口では言っているものの、現在の医療・看護というものは結局、医療関係者中心になっていることが少なくないと私は思います。

 まあ、とにかく無理したけど死ななくてよかったです(汗)

2000/01/03(Mon)
看護学生の実態?

 大学に入る前、男である私は、看護の道へ進むことについて相当に迷いました。そして、高校生の頃は、看護の道へ進むことをずっと隠していました。自分で決めた進路なのに情けないことだけど、

 「男なのに看護なんて言ったら、どんなふうに思われるだろう…」

という気持ちが強くて...親にさえ、担任の先生との三者面談まで内緒にしていたほどです。



 私をこのように悩ませた看護という道…それでも他の道へ進むという考えは浮かんできませんでした。それはなぜだろう?と考えると、『看護への期待』というものが大きかったためだという理由が浮かんできます。それだけ看護というものに魅力を感じていた訳ですね。

 では、具体的にはどのようなことに期待していたのか? それは“人間性”です。大学に入るまでは、「看護学校って言うと、自ら望んで苦しい看護の道に進もうとする人たちが集まってくるんだから、きっと素敵な人がたくさんいるんだろうな。」と考えていました。

 そして、そのような素敵な人々と共に学んでいくことで良い刺激を受け、自分も同じように成長できるのではないか?…と期待していたのです。

 しかし、実際に大学に入ってみると…



 まず、一番最初にショックを受けたのが、オリエンテーション合宿からの帰り道に起こった出来事。

 一泊二日で行われたオリエンテーション合宿からの帰り、友達と電車に乗っていました。しばらくすると、サングラスをかけ、杖を持った男性が電車に乗り込んできました。その電車は全席指定だったので、その男性も予約された席があるはずなのですが、ずっとウロウロしています…

 「目が見えないから自分の席が分からないんだろうな。」と思った私は、隣に座っていた友人に、

 「あの人、自分の席が分からないんじゃない?」

と話し掛けました。すると、その友人は面倒そうに「あぁ、そうじゃない?」と返答するだけ…

 私としては、当然、「あぁ、そうみたいだね。じゃあ、ちょっと行ってみようか?」みたいな感じになると思っていたのですが…席が分からなくて困っている人がいることを知りながら、そのまま見て見ぬフリをするとは…本当に信じられませんでした。

 とは言え、私もその後、一人で話し掛けに行くこともできず、「どうしよう…」と悩んでいるだけでした。情けない限りです。私もその友人のことを責められる立場ではないのです…

 それから数分、次の駅に着くと、乗り込んできた人の中に、その目の不自由な男性に話し掛けている人を見ました。普通の人が当たり前のようにしていることが、看護を目指そうとする自分たちにできないとは…と、かなりショックを受けました。



 よく「看護は人の役に立つ仕事」と言われます。私自身、人の役に立てるようになりたいから看護を学びたいというのもあります。しかし…看護学生の中で、本当に心から人のために働きたいと思っている人はどれほどいるのでしょう…?

 同じ大学で学ぶ友人の中には、「本当は○○学部に行きたかったんだけど、行けないから仕方なく看護に…」と言う人がたくさんいます。 [行きたい学部が他にあるなら、意地でも、浪人してでも、その学部に行けるように頑張れよ。] と思うのは私だけでしょうか…?

 中には本当に看護が好きで、だけど学力が少し足りないために大学に入れない人もいるでしょう。そういう人を蹴落として自分が看護を勉強しているということを考えて欲しいものですね…

 学力もひとつの才能ですが、それは努力である程度はカバーできるものです。しかし、それ以上に大切で、努力ではカバーできない才能があると思います。それは、看護に対する思い入れ、看護が好きであるということです。

 果たして、うちの大学には、どれほどこの才能を持った人がいるでしょうね? 実は私も怪しいところなのですが…

2000/10/27(Fri)
看護は女の世界?

 最近では、少しずつ増えてきているようだけど、未だに看護は女の世界という感じ。例えば、私の属する大学の看護学専攻には約80人の学生がいるけど、そのうち男子学生は4人だけ(編入生を含む)。このような性別の偏りがある世界にいると、少数派である男にはいろいろとエピソードなどできてみたりする。



 例えば、大学や病院には実習着に着替えるための更衣室がある。言うまでもなく男女で別の更衣室を使う訳だけど、大学の男子学生用更衣室はひどいものである…と言うより、男子学生用の更衣室というものは存在しなかったりする。私たちは最初、洗濯室で着替えていた。一応、そこにはロッカーがあり、「男子学生が着替えていることがある」というような掲示がしてあった。それだけでも少し虚しかったものが、改装によって洗濯室が壊され、お風呂になった。すると、今度はロッカーすらないという始末…何とも。

 逆に、病院の更衣室は素晴らしかった。ちゃんと男子学生用更衣室が用意されていて、人数が少ない私たちにとっては広すぎるくらいの空間を独占できた。ついでに他の更衣室にはない机や長椅子(疲れたときにはよく寝て休んでいた)、扇風機、ラジカセなどまで置いてあった。

…ということで、更衣室については一長一短という感じだった…かな?



 次に、男である私たちが固まって座っていると、よく「男の子ばかり固まって…」とか「(演習などで)男の子同士ではやらないように」などと言われることがある。まったくもって意味不明…「女の子だってみんな、仲の良い者同士で固まっているではないか?」という感じ。単なる差別なのか、女の世界で生きて抜いていくために試練を与えてくれているのかは分からないけど…とりあえず迷惑な話である。

 逆に、変なところで男子学生も差別されないことがある。最もそれを感じたのが、母性看護実習でのこと。出産を見学するのは分かるとして(貴重な経験だから嬉しい)、妊婦さんの内診やら陰部洗浄やらも堂々と見学していたし、乳房マッサージの実習とか言って作り物の胸を付けさせられたり…「私たち男が乳房マッサージすることがあるのか?」という感じ。ある意味、セクハラでは…?



 他にも挙げたらキリがないほどのエピソードがあるけれど、少なくとも言えるのは、男子学生が少数派であることを実感することは日常茶飯事だってこと。ただ、周りのみんなによく言われる「男なのによく頑張ったね」はイマイチ実感できない。

 「男だからこそ辛いことって何だろう?」

って考えると、何も思いつかない。勉強にしても実習にしても、男だからって何が変わる訳でもない。同じように辛いことや楽しいことがあって、みんな同じように感じてるんだって思う。

 看護を目指す気持ちは男でも女でも変わらないし、その過程にあるものも変わらないと思う。男だからって仲間外れにされている訳じゃない。男にはできない仕事って訳でもない。男でも女でも関係なく、私たちは互いに支え合い、励まし合って、同じ道を共に歩んでいるのです。

2001/10/25(Thu)

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