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基礎看護実習
訪問看護実習
実習の概要
実習を通して
寂しい器材室
衝 撃
暗く寂しい幸せ
居ること
役不足
意外な一面
将来は何に?
慢性看護実習
母性看護実習
保育園実習
急性看護実習
保健所実習
小児看護実習
精神看護実習

実習の概要

 訪問看護実習は、その名の通り「訪問看護」を学ぶ実習で、2週間ほど民間の訪問看護ステーションにお邪魔しました。

 実習の流れとしては、まず初日に実習のスケジュール(いつ、誰のところに、どの看護師に付いて訪問するのかが記載された紙)を渡されました。それを見て、実際に訪問するまでに利用者(訪問看護では、患者ではなく利用者と呼ぶ)のカルテから情報収集し、実習記録に記入しました。また、実習に際しては毎回「行動計画表」と呼ばれる紙を看護師に提示しなければならなかったので、その記入にも追われました。

 それから、スケジュールに沿って利用者の家庭を訪問していきました。訪問は、基本的に看護師一人に対して学生一人という形で、1日に1〜2件、1回60分前後という感じでした。移動は車だったのですが、車内で看護師と二人きりというシチュエーションは、なかなかに息苦しかったです(人によっては、この車内での会話が楽しみだったという人もいるようですが…)。

 訪問して行うことは身体的なケアがほとんどで、入浴介助や清拭、洗髪などを実施しました。時には人工呼吸器の回路交換なんて大学病院でも実習できないようなこともあって…そのような場合は、ひたすら見学するだけでしたけど。

 訪問から帰ってくると、実習してきたことを実習記録に記入し、次に訪問する利用者の情報をカルテから収集し、行動計画表を書き、訪問し…この繰り返しでした。

 また、2週間の実習のうち、一日は老人保健施設でのデイケア実習に当てられ、週の終わり(金曜日)の午後にはカンファレンスと呼ばれる話し合いが設けられていました。

実習を通して

 訪問看護実習は、私にとって初めての各論実習でした。個人的な事情として、体調不良で入院していたために実習スケジュールが変更になり、本来の実習グループとは違うグループに混ぜてもらって実習したということもあり、いろんな意味で肩が凝りました。

 実際に実習を経験してみて感じたことは、「私には訪問看護はできない」ということでした。正直、あらゆる面で自分には向いていないと思いました。

 まず、訪問看護は「ビジネス」としての面が強く、一つの家庭に滞在する時間が限られているため、短い時間に多くのケアを詰め込み、非常に忙しなさを感じました。私は人とじっくり関わっていきたいと思っているので、訪問してケアを実践したらすぐに去っていく…この忙しなさを好ましく思いませんでした。

 また、提供するケアの内容も、訪問看護では身体的なケアが多く、人の心を支えていきたいと思って看護者を目指している私とは、相性が良くありませんでした。

 それから、何より訪問看護に携わることに対する重圧に耐えられないと思いました。訪問看護は基本的に一人で家庭に赴く訳で、何か不測の事態が起きても他に頼る人はいません。その場では、すべて自分の責任で対処しなければならない…これは、非常に恐いことだと思いました(訪問看護に携わる看護師は、やり甲斐があるって良いと言いますが…)。

…と言うことで、ホスピスに興味を持ち、文献から在宅療養の良さに惹かれていた私には、少しばかりショックなことが多い実習でした。訪問看護は、これからの日本に必要な領域だとは思いましたが、自分自身が携わるというのは…正直、ちょっと勘弁という感じでした。

寂しい器材室

 訪問看護実習では、特にユニフォームというものはなかったのですが、「動きやすい服装」ということで、ジャージとトレーナーで臨みました。ただ、家からそのような格好で出かけていくのも恥ずかしいので、訪問看護ステーションで着替えることになったのですが…

 訪問看護ステーションというのは概して小さな施設だったりします。なぜなら、訪問看護を行うのは利用者の各家庭だからです。いわば、ナースステーションだけで一つの建物になっている状態なのです。

 …と言うことで、当然のごとく学生用の更衣室なんてものは存在しませんでした。

 そこで、私たち学生は昼食を食べたりする部屋で着替えることになりました。ただ、ここで問題発生…私は男なので他の学生と一緒に着替える訳にはいきません。

 …と言うことで、男子学生の更衣室として指定されたのが、『器材室』…小さな部屋で隠れたようにモゾモゾと着替え、その後、女子学生が着替え終わるまで廊下で待つ…たまに「もう入っていいよ」を言い忘れたとかで、ずっと廊下で待たされたこともあったりして…おいおい。男子学生は辛いですねャ

衝 撃

 訪問看護実習初日…トレーナーとジャージに着替え、聴診器や包帯などが詰まった訪問カバンなるものを持ち、看護師さんに挨拶…行動計画表(何を見学、または実習したいのかなど)を説明する。緊張しまくりでした。

 その後、看護師さんの車に同乗させてもらい、利用者の家庭へ…家庭に着くと、すぐに利用者の元へ…ここで、私は衝撃を受けました。

 なぜなら、バリバリの和室に立派な電動ベッドが置いてあったのです。はっきり言って、かなり奇妙な光景でした。言わば、一般の家の中に強制的に病室を作り出しているような雰囲気…

 「在宅療養と言っても、普通に家に居るのとは違うのだな」

と感じました。

 また、利用者の状態からも衝撃を受けました。大学病院で出会う患者さんよりも明らかに重い状態と思われるのに在宅で療養している…ちょっと信じられませんでした。

 利用者を支える家族と訪問看護ステーションの看護師を尊敬せざるを得ない…という感じ。特に看護師はこのような重い状態にある利用者を、医師や他の看護師もいない状態で、一人ですべての処置を責任もって行っています。

 もし、利用者の状態が急変したとしても、頼れるのは自分だけであり、どんなことがあろうとパニックになっている場合ではない。かなりの知識と技術と経験がなければできない仕事だと感じました。

 …と言うことで、初日から様々な衝撃を受け、訪問看護というものを知り、正直、自分は訪問看護には携われないと思ってしまいました。それくらいに訪問看護は難しく、かつ責任の重い仕事だと感じたのです。

 良い経験でした。

暗く寂しい幸せ

 訪問看護実習も数日目になったとき、私はまたしても新たな衝撃を受けました。それが『療養環境の違い』でした。

 その日、私は2つの家庭を訪問しました。

 まず、最初に訪問した家庭…家族はみな働きに出ており、昼間は利用者一人でベッドに横たわっている。部屋は家の奥にあり、昼間でも暗いため、利用者は昼夜の区別がつかなくなりつつある(痴呆が進行していると懸念される)。荷物が散らかり、衛生上も好ましくない環境…そんな感じでした。

 この家庭を訪問し、私は疑問に思いました。

 「果たして、この人は本当にこのままで良いのだろうか? こんな環境で一人ぼっちに置かれるくらいなら、どこか施設に入った方がよっぽど幸せなのではないだろうか? この人にとって、在宅で療養する意義は何なのだろう?」

 次に訪問した家庭は、息子が医者をやっていたりして、なかなかの金持ちらしく、部屋の清潔さ、採光ともに申し分なく、ケアに使う用具まで利用者専用のものを用意している…という状態でした。しかし、利用者はいわゆる植物状態で、意識は全くない…

 醜い考え方かもしれませんが、このとき、私はこう思いました。

 「この人は意識もない訳だし、どんなに整った環境を提供しても、何も感じないのでは…? それより、さっきの人は意識もあったし、あの人の方にもっと整った環境が提供できれば良いのに…」

 どうなのでしょう? こんなところで貧富の差というものを目の当たりにしてしまった気分です。しかし、訪問看護もビジネスであるし、家庭の事情も様々であるし…何がいけないとも言えません。でも、私は何か納得がいきませんでした。

 そこで、私は他のメンバーからも意見をもらいたいと思い、カンファレンスで問題提起しました。私は学生間で話し合いがしたかったのですが、出しゃばりな訪問看護ステーションの所長さんが私たちに答えを提示しました。

 それは、「たとえ暗く寂しい部屋でも、あの人は在宅での療養を望んでいるのであって、決して施設に行きたいとは言わないのです。看護者の勝手な価値観で良いと判断したことが、利用者にとっても同じように良いことは限りません。」

 …ということでした(意訳)。

 確かに所長さんの言っていることは正しいと思いました。「施設の方が良いのでは?」というのは、あくまで私の価値観で判断した答えであって、利用者本人の意志は確認していません。だから、所長さんは正しいと思います。

 ただ、私は未だに納得ができていません。なぜなら、利用者本人の口から「自分は在宅で療養したいのだ」ということを聞いていないから。所長さんは長い付き合いがあって、その利用者のことを分かっているのかもしれませんが、私は単なる実習生で、一度しか会っていない利用者のこと…利用者の本心を聞きたいと思いました。それこそが実習であり、私にとって大切な学びになると思ったのですが…。

 結局、そのような機会は与えられず…一応、担当患者さんを変更してもらえないかとも聞いてみたのですが、すでに組まれたスケジュールを修正するのは難しいし、看護師になれば患者を選ばず担当になった患者の看護をするのだから…と。

 あの人は今も、暗く寂しい自分の部屋で、幸せに療養しているのだろうか…?

居ること

 訪問看護実習では、1日だけ老人保健施設でのデイケア実習をする日がありました。デイケアというのは、在宅療養している高齢者に、昼間だけ老人保健施設などで過ごしてもらうことで、主に次のようなことを目的としています。
  • 療養を支える家族の負担軽減
  • 社会参加の機会を作る
  • リハビリテーション
 デイケア実習では、まずスタッフの方からデイケアについての簡単な説明を受け、その後、放任(?)されました。放任と言うと言葉が悪いかもしれませんが、特に何を指示されるでもなく、ただ「通所者の方たちとお話でもしていて下さい」といった具合でした。

 何も課題がないというのも困ったもので、とりあえず通所者の方々が革細工を作っているところへ行き、見よう見まねで作りつつ、会話などしてみました。でも、発語がはっきりしていなくて、何を言っているのか分からず、聞き取れたとしても会話が噛み合わず…黙々と革細工を作るだけの時間が流れました。

…と言うことで、最初のうちは「どうしよう? どうしよう?」という感じだったのですが、一緒に革細工を作っていたことに、ただ側に「居る」ことに意味があったのか、少しだけ距離が縮まった気がして…

 通所者が帰宅する時間になったとき、「ありがとうね。」と何度も言って頂くことができました。私は、ただ側で革細工を作っていただけなのに…でも、いつの間にか私もその方に愛着のようなものが湧いていて…

 私は、その方の車椅子を押して、自宅へ帰るための車へと送りました。車に乗る前、その方は私の方を見て、ペコリとおじぎをされました。何だか良い感じでした。

 ちなみに、小さなおばあちゃんでした。

役不足

 私にとっては初めての各論実習である訪問看護実習の最初のカンファレンスで、私はいきなり司会をすることになりました(普通は以前の実習でも同様のカンファレンスを経験しているはずなのですが、私は入院していたために皆とは期間がずれ、一人で実習したのでカンファレンスは経験できなかった)。一体どうやって進行したら良いのやら…と困惑してしまい、先生にヘルプを求めようとしたら、

「いやぁ、司会の方に全て任せますから」

だそうな。

 カンファレンスの流れも理解できていないのに、任されても困ってしまう… オドオドと歯切れの悪い司会をしていると、他のメンバーからも冷たい視線など感じてみたりして…

 結局、無駄な時間を大量に費やし、大した内容もないままにタイム・オーバー。はっきり言って、カンファレンスは大失敗でした。

 訪問看護実習2度目のカンファレンス…今度はある女子学生が司会になりました。すると、彼女の司会の上手いこと上手いこと…

 このとき初めて、司会とはこのようにするものだと学びました。他のメンバーだって、司会の仕方を習った訳ではないでしょうに、なぜここまで違うものかと大きなショックを受けました。

 ただでさえ、何を言おうか困ってしまい、うまく説明できずに恥ずかしい思いをするのに、さらに苦手な司会なんて役割にも出会い、ますますカンファレンスが嫌いになってしまいました。

意外な一面

 私が実習した訪問看護ステーションは大学とは全く別のところにあったのですが、そこがまた交通の便が悪いところで、多くの学生は最寄りの駅からタクシーを使って通っていました(私は違うルートでバスと徒歩で通いましたけど)。しかし、帰りはわざわざタクシーを呼ばなくてはならなくて厄介なので、延々と歩いて駅まで向かうのが通例でした。

 ある日、実習を担当してくれた教官(ちなみに助教授)と一緒に歩いて帰ることになったのですが、なぜかラーメンをおごってくれるという話になりました。もらえるものはもらっておこうということで、私は喜んでラーメン屋へ。

 私たちがラーメンを注文していると、その教官は気前良く餃子とライスまで注文してくれました。素晴しい。それから、ラーメンをすすりながら少しばかり雑談をしていたのですが、そこで驚くべき事実が…

 何とその教官、旦那さんは外国人とのこと。講義中、妙なところで単発的に英語を挟むので、中途半端に知っている英語を冗談っぽく話しているのかと思っていたのですが、本当に英語がペラペラだったとは…

 実習は、普段はあまり話す機会のない教官やクラスメイトと話すことができ、意外な一面を知ることができるので楽しいですね。

将来は何に?

 訪問看護実習の最終日、私は看護師の言葉にとてもショックを受けました。その言葉とは…

 「君、将来は何になるつもりなの? やる気がないように見えるんだけど…?」

 これはつまり、「君は看護に向いてないよ。」と言われたのと同じことでしょう。確かに今回の実習、初めての各論実習だし、言語的コミュニケーションが取れない人が多くて、戸惑うことばかりでしたが、私は私なりに頑張ったつもりです。

 もちろん、他の人はもっと積極的に取り組めたのかもしれません。周りのみんなも必死でしょうから、私の頑張りは頑張りに見えないかもしれません。でも、この言い方はどうなのでしょう?

 たとえば私にやる気がないとしたら、ますますやる気がなくなるでしょうし、やる気があったとしても、やる気がなくなってしまいます。学生を指導する看護師には、学生が看護を好きになれるように、看護の良さというものを教えてもらいたいものです。


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