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焦げた人々

 このところ、訳のわからない人々が増えている。象徴的なのが、真っ黒に焦げた女の人たち。彼女らによるとあれは個性だとか。確かに個性は大事であるが、あれは個性などではない。

 電車に乗っていると車内アナウンスが入る。その口調はオカマっぽく聞こえるが、あの口調は個性をなくすためだとか。確かにひとつの型にはめ込むことによって個性は失われるように思われる。

 焦げた人々もこれと同じで、みんな“ガングロ”というひとつの型にはまっている。確かに私たちとは違う世界であることは認めるが…

1999/12/19(Thu)
訴えるもの

 音楽は良い。

 落胆した気持ちを奮い立たせてくれる音楽…
 心に訴えかける力を持った音楽…
 暗くなりかけた気持ちを陽気にしてくれる音楽…

 様々な音楽があるが、それぞれの良さを持っていた。しかし、最近の音楽は少し違うようだ。本当につまらない歌ばかりで嫌になる。ある意味、耳障りである。なぜこれほどまでに落ちぶれてしまったのだろうか。答えは簡単。最近の歌というものは、単にお金儲けの道具でしかなくなってしまったのである。音楽で自己を表現し、自分の思いの丈をぶつけようという者が、今の音楽業界にどれだけいるだろうか…?

 某テレビ番組からデビューした歌手どもが大活躍しているが、あの歌詞は最悪だ。彼女らに限らず最近流行する音楽の歌詞には意味がないものが多い。訴えるものがあった尾崎豊が死んで後、今も支持されているのも頷ける。

1999/12/19(Sat)
馬鹿な想像

 以前、ポケモンの映画がアメリカで大ヒットしたとかで話題になっていたが…信じられない。アメリカの映画は日本のそれよりも何倍もおもしろいと思うからだ。確かにアニメに関しては日本の宮崎駿の映画など素晴らしいものも多い。しかし、ポケモンほど幼稚なものがアメリカで流行するとは…

 なぜ邦画は洋画と比べておもしろくないのかを考えてみた。理由はすぐに見つかった。私が日本で育ち、日本に住んでいるからである。日本の実態を知っている私にとって、その常識の域を越えて作られた世界である映画は馬鹿らしく映るのである。それに対し、よく知らない世界である外国であれば、「馬鹿らしいことだが、もしかしたらこのような事があるのかも…」という想像をすることができるのである。その証拠に日本の映画は外国で賞賛されている。これも同じような理由からではないだろうか?

1999/12/19(Wed)
相談相手

 iモード対応サイトを作成していて思うこと…それは『メル友募集の需要が非常に多い』ということである。私はメル友探しを支援するサービスを提供しているのが、決して自分もメル友が欲しいとは思わない。

 メールというものは、言葉では言えないようなことも簡単に伝えられるものだし、そのメール相手が身近ではないメル友という存在であれば、普通なら打ち明けにくいようなことでも簡単に相談できる。そういう意味では、メル友も良いだろうと思う。ただ、それは本当に心を開いている友達とは全く別の存在だとも思う。

 また、私はメールだけの友達には嘘をついてしまいそうで嫌だ。本当の自分よりも素敵な人間であるかのように演じてしまいそうで…嫌である。

2000/05/15(Mon)
選ばれし者

 エリートとは、どのような人間のことを言うのだろうか? 少し前の話になるが、某TV番組で東大生が『別に自分らのこと、エリートだと思ってないし。』などと言っているのを見かけた。『どうせ自分はエリートだと思っているのだろ?』と言われたことに対抗するための発言なのだが…情けない限りである。

 東大生はエリートか? 間違いなくエリートである。少なくとも学力だけは…。日本で最難関と言われる大学に入っておいて、エリートではないとはどういうことだろう? おかしな話である。そして、東大生にエリートだという自覚がないのは、非常に悲しむべきことである。なぜなら、彼らは(学力において)日本で有数の才能を持っていながら、そのことを生かす意欲がないということだからだ。

 彼らは受験戦争において、まさにエリート(選ばれし者)であった。しかし、そのように選ばれたことによって与えられる才能を伸ばす機会を自覚していないのである。もっと勉強する意欲があるのに選ばれなかった人もいるだろうに…。「自分はエリートである。」と思えない一流大学の学生は、その大学をブランドとしてしか見ていないということだと思う。

2000/09/09(Sat)
同時多発テロ

 最近、ニュースと言えばアメリカ同時多発テロ事件ばかりである。民間旅客機を利用したテロ、敵ながら見事である…などと誉めたら怒られてしまうかもしれないが…とにかく歴史に残る大事件である。

 報復攻撃をするか否かについて議論が起きているようだが、私は報復攻撃に賛成である。死刑反対派の私であるが、刑罰というものは絶対に必要だと考えている。身近なところでは、学校から体罰をなくそうとする人は馬鹿としか思えない。世の中、謝って済む問題と済まない問題があるのである。

 今回ほどのテロを放置すれば、もしくは平和的に話し合いで解決させるならば、気軽にテロ活動のできる時代が誕生するであろう。『テロをすれば、恐ろしい報復が待っている』という絶対の法則が必要である。一度でも甘やかすと、そこに境界線が敷かれてしまい、「これくらいのテロならしても良い」という暗黙の法則が生じてしまう。決して甘やかしてはいけないのである。

 ただし、報復攻撃をする前には徹底的な調査が必要であり、テロに関与していない人間を巻き込まないように努力する必要がある。「努力」という少しいい加減な表現をしたが、残念ながら他の人を全く巻き込まないなんて不可能である。しかし、テロは被害を受けた人だけの問題ではなく、全世界的な問題であるので、みんなで解決していく必要がある訳で、自分だけは何も影響なく生きていきたい…というのは、少し自分勝手である。…と、話が逸れたが、ひとまず「確たる証拠がないのに攻撃すれば、それはテロと同じである」ということを誰かさんも言っていた。正論であろう。

 話は変わるが、ニュースを見ていて気になることを一つ…アメリカは「テロに屈しない」ということを言い過ぎではないだろうか? まるで負け犬の遠吠えのよう…ボコボコに殴られた後に「痛くも痒くもない」と強がっているのと同じである。テロになめられるのが恐いから「テロには屈しない」と叫んでいる訳で、それはつまり「テロが恐い」と叫んでいるのと同じである。どうせなら「蚊に血を吸われて少し痒いけど、叩いちゃえば良いよね?」くらいの発言をしたらどうだろう?

2001/09/15(Sat)
自衛隊派遣

 再びテロ事件に関連して思ったことを書きたいと思う。最近、日本の自衛隊が戦争(?)に参加するかどうかでゴチャゴチャと揉めているようである。そこで一言…日本人は平和ボケし過ぎである!

 まず、未だに武力行使を否定する人々…彼らは本気で平和的な解決ができると考えているのであろうか? よく考えてみて欲しい。相手は予告なしにあれほど大規模な無差別殺人ができる奴らである。話し合いができないからテロ行為に及んでいる訳であって、話し合いができる人間なら最初からテロ行為なんてしないのである。だから、平和的な解決なんて望むだけ無駄である。そんな甘ったれたことを言っていては、テロが蔓延る世の中になってしまう。

 また、自衛隊派遣に関して「報復は報復を呼ぶ。自衛隊を参加させると、日本が標的になるかもしれない…」なんてことを言っている人がいる。お前は阿呆か?…という感じである。「テロはアメリカを狙った。日本人も何人か死んだが、それは事件に巻き込まれただけだ」なんて勘違いをしている人が多すぎて困る。日本はすでに標的であって、今回の事件はアメリカとテロだけの問題ではない。そして、テロを撲滅しようとするアメリカを日本が助けるのではない。テロを撲滅すべく、他国とともに日本も立ち上がるのである。

 「今回は安全でない地域にも自衛隊が行く」なんてことも耳にするが、そんなの当たり前である。「危険なところに行きたくなければ自衛隊に入れ」みたいに風刺されているらしいが、何だかんだ言って自衛隊も軍隊である。一般市民が大勢犠牲になっている今回の事件、戦争が始まればまだまだ犠牲が増えていくことであろう。そのような中、できるだけ被害が大きくならないよう、軍隊である彼らが頑張るのである。命をかけて闘う気がないなら、自衛隊になんて入らなければ良い。彼らは自ら志願して自衛隊に入り、日々訓練しているのだろう。今こそ世の平和を維持するために自分が活躍するときである…と、目を輝かせても良いくらいである。「自衛と戦争は違う」なんてことを言う人がいるかもしれないが、今回の戦争は自衛である。なぜなら、上述のように日本もテロの標的になっており、日本人が安心して、もしくは安全に生きていくためには、テロ撲滅が必要だからである。

2001/09/27(Thu)

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