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看護学生の入院

 入院したということで、私はよく友達や先生から「患者さんの気持ちが分かって良い」みたいなことを言われます。確かに病気の苦しみや検査、治療がどんなものかを実体験を通して知ることができるということで、これから看護をしていく上で、たいへん参考になる経験をしていると思います。でも、何か違う気がします。

 例えば、今回の入院で私は膀胱留置カテーテル(バルーン・カテーテル)を入れられたのですが、そのとき、私は「おっ!! 自分にカテーテル入ってるよ。よく病棟でカテーテルが入ってる患者さん見かけるけど、これでその人たちの気持ちが分かるんじゃない?」なんて思って、ちょっぴりワクワクしてみたりしたのです。カテーテル入れられてワクワクするなんて....普通じゃ考えられないですよね?

 私は看護学生として患者を体験しているので、一般の人たちとは違った視点から患者を経験しているということになるのです。

 …と言うことで、完全な患者の気持ちを体験しているのかどうかは疑問です。とは言え、さすがに一週間以上もカテーテルを入れられていると、「とにかく早く抜いてくれ!!」とか「一日だけでも良いから休みをくれ!!」という気持ちばかりになったので、本当の患者を体験できている気もするんですよね…よく分かりません。

 ついでに言うなら、同じことをされても人によって感じ方が違う訳で、自分の経験上 苦痛でなかったからと言って、苦しがる患者さんを前にして「苦しくないはず」などと思ってしまう看護者になるかもしれないという意味で、患者体験をすることが絶対に良いとも言えない気がしますね。

2000/11/27(Mon)
若者の悲劇

 私が入院中、最も不快だったのが、「若い」ということに関連させて話をされることでした。

 例えば、「若いのに○○(病名)なんてかわいそうに…」と何度も言われました。確かに、私の病気はあまり若い人が罹る病気ではないかもしれません。でも、私の場合は、生まれつきの病気で、0歳のときから付き合ってきている病気なのです。だから…

 「誰がかわいそうなのか? 私はこれでも十分に幸せだと思っている。しかも、21歳でこの病気に罹っている私が若くてかわいそうと言うなら、0歳からこの病気と付き合っている私はどんなにかわいそうな奴だと言うのか? 私はそんなにかわいそうな奴なのか?」

 という気持ちになり、非常に不快でした。実際、私は病気のために苦しい思いをしましたが、別に不幸だとは思っていません。物心ついたときから病気と付き合っている私にとって、この病気に罹っているのが当たり前の状態なのです。運命だから仕方ないとかそういう次元ではなくて、これこそが『私』なのです。とにかく、幸せか不幸かは他人が決めるものではありませんよね?

 また、よく「若いから大丈夫だよね?」みたいなことを言われました。確かに若ければ治りが早いということがあるのでしょうが、辛いことに変わりありません。若くても辛いし、苦しいし…全然大丈夫ではないんです。だから、「若いから…」と言われると、「若いから何だよ?!」って、とても腹が立ちました。

 どうやら「若い人は基本的に元気で、歳をとってくると大変になる」みたいな固定観念がある人がいるみたいですね。どうにか考え方を変えて欲しいものです。

2000/11/26(Sun)
励ますこと

 たいていの場合、誰かがお見舞いに来ると「頑張ってね!」なんて捨てゼリフを残して去っていきます。恩を仇で返すような言い方になりますが、はっきり言ってこの言葉は不快でした。

 「頑張って」と言われると、「これ以上、どうやって頑張るんだ?」という感じで頭にきます。闘病中の患者というのは、本人が望んでいるか否かに関わらず、精一杯に頑張っています。病気による辛さ、検査や治療による辛さ…さまざまな辛さに耐えているのです。だから、どう見ても自分よりも楽そうな顔をした人に、「頑張れ」なんて言われる筋合いはないという感じがします。

 それに、実際に病気と闘ってみると、何もできない自分に憤りを感じます。頑張りたくても頑張り方が分からないのです…特に私の場合、自分ではどうにもできない病気だったので、「留年してしまうのではないか?」という不安に怯えながら、「早く退院したい」と熱望しているにも関わらず、自分では何もできず、手術で治してもらうのを待つだけという感じでした。だから「頑張れるものなら、もっと頑張ってるわ!!」という感じがして、不快な気持ちになりました。

 …と言うことで、パッと現れた見舞い客に励まされることは、決して嬉しくありませんでした。ただ、一度だけ本当に嬉しい言葉を言われたことがあります。

 それは『頑張りましょう』です。これは内視鏡手術を決意したときに、私の主治医が笑顔で言った言葉です。それまでは、『3時間以上かかる手術…嫌だなぁ…辛そうだなぁ…』とばかり考えていたのですが、この言葉を聞いて、『病気と闘っているのは自分だけではないのだ』ということを再認識しました。

 それどころか、『ある意味では、麻酔をかけられて寝ているだけの私よりも、3時間以上も立ったままで集中して手術をするであろうこの医師の方が辛いのでは? それなのに笑顔で頑張りましょうと言ってくれるとは…』とすら考えるようになりました。

 『頑張って』と『頑張りましょう』…似たような言葉ですが、その重みは全く違います。

 また、当然のことながら同じ言葉でも、誰に言われるかによって全く意味が違ってきます。パッと現れた見舞い客に『頑張りましょう』などと言われたら、ぶっ飛ばすかもしれません。それを言ったのが、“患者のために精一杯頑張っている”という印象を強く受ける医師だったので、私は励まされたのです。

 …と言うことで、患者を励ます場合、その言動には気をつけないといけませんね。特にその患者と自分との関係を考慮することが大切です。

2000/11/26(Sun)
ナースコール

 入院中、私は何度も『ナースコールを押せない』ということを経験しました。

 予め看護師の方から「点滴が終了したらナースコールで知らせて下さい。」などと指示が出ている、ある意味で事務的なナースコールについては、迷うことなく簡単に押すことができます。 しかし、例えば「痛みが強くなったので、どうにかして欲しい。」というような、臨時の対応をお願いするためのナースコールは、なかなか押すことができません。

 これはちょうど病院に行くのが嫌だと思う心理と同じですね。「これくらいの痛みなら、何とか我慢できるかも…?」とか、「痛みを訴えたことによって何か苦痛な検査が追加されたり、新たな疾患が明らかになったりしないだろうか?」というような考えが頭の中を巡り巡って、ナースコールを押したくても押せないという状況が生まれました。

 また、入院初日の夜中、あまりの痛さに我慢し切れず、ナースコールを押したのですが、しばらくして現れた看護師は、他の患者さんのところへ行き、「今、ナースコール押されました?」などと聞き回っている…どうも誰が押したのか分からないシステムのようで…「夜中にナースコールを押すと、同室の患者さんに迷惑が掛かってしまう」という気持ちまで生まれたので、本当に「押せないナースコール」になってしまいました。。。

 ちなみに、よく「看護師さんが忙しそうにしてるから…」という理由で、ナースコールを押せないという話を聞きますが、看護師が患者さんに対して、「遠慮しなくて良いのに…」なんて考えているとしたら、ちょっと考えが甘いのかもしれませんね。。。

2000/11/25(Sat)
はじめに

 私は看護を目指すものであると同時に、生まれつき病気を持って生まれた患者でもあります。入院・手術というものも何度か経験しましたし、病気とは今後も付き合っていかなければなりません。それらの患者体験から色々と思うところがあるので、ここに書き記すことにしました。

 すでに医療スタッフとして働いている方々はもちろん、これから医療の世界に入ろうとする方々にも一読いただき、さらなる医療の質向上に努めてもらいたいと思います。

2001/08/14(Tue)
看護師の仕事

 私たち看護師は、患者様を援助する専門家です。「援助の専門家は、さまざまな対人関係上の課題や要求に対処する高度な対人関係能力やコミュニケーション能力を駆使して関わり続け、癒し続ける必要がある」と言われます。私たちはこのことを決して忘れてはいけません。

 看護とは少し違いますが、次のような話を聞いたことがあります。ホテルの接客スタッフがお客様に「パンにしますか?ライスにしますか?」と尋ねたとき、お客様が「ご飯を下さい」と答えると、「ご飯ですね」と確認すると言います。お客様が「ご飯」と答えたのに対して、「ライスですね」と返すと、お客様は否定された気持ちになる、そのため、お客様に不快な感情を抱かせないように配慮しているのだと言います。私は、このような配慮は看護でもとても大事だと思います。ほんの些細な表現の違いであっても、相手に与える印象はかなり違うものだと思います。看護師は患者様を癒す存在でありますが、現状では患者様に不快な感情を抱かせてしまっていることも少なくないと思います。私自身の経験でも、入院中には看護師の言動に苛立つことが多々ありました。この現状を、私たちは変えていかなければなりません。



 私たち看護師は、患者様の“心”に目を向けなければなりません。看護師になった頃の私は、患者様の言動に苛立つことがありました。例えば、ちょっとしたことでナースコールをしてくる患者様に対して、「この忙しいのに、そんなことでわざわざ呼ばないでよ。」といった具合にイライラしました。しかし、これは明らかに間違っています。私たちにとってはちょっとしたことであっても、患者様にとってはちょっとしたことではないから訴えているのです。そして、なぜ患者様が看護師の忙しさを考えなければならないのでしょうか。患者様に対して、看護師の忙しさを考えて欲しいなどと考えているとすれば、それは、看護師の傲慢というものです。

 自分が入院していたときにも経験したことですが、看護師となった今、同僚である看護師の言動に苛立つことがあります。看護師が患者様の感情を否定するなどということは、絶対にあってはなりません。たとえそれが心因性のものであっても、患者様の訴えを否定してはなりません。実際にあった話です。私が入院中、「痛くて我慢できないので何とかして下さい」とナースコールしたとき、「そう?そんなに痛そうな顔してないけど、我慢できない?」なんて言った愚かな看護師がいた。ある看護師の話…呼吸苦を訴える患者様に対して「SpO2が99%もあるよ。私より元気じゃん。大丈夫、大丈夫。」なんて言い放った。

 もし、同じような失礼を患者様に対して行っている看護師がいたら、今すぐに改めてもらいたい。もしできないのであれば、すぐに看護師をやめてもらいたい。どんなに器質的に問題がなくても、どんなに他覚的に問題がなくても、どんなに心因性である確信があっても、患者様の訴えを否定していい理由にはなりません。私はそのような行為が絶対に許せません。

 例えば、呼吸苦を訴えてベッド上に寝たままの患者様がいたとします。器質的には問題が見つかりません。ここで、「患者はウソをついている」とか「患者はなまけているだけだ」などと決め付けるのは愚かな看護師がすること。もし仮に、患者様の訴えが心因性であると思うのであれば、「なぜ患者様はそのように訴えたのだろう」とアセスメントするのが本来あるべき看護師の姿勢でしょう。



 ここで事例を挙げたいと思います。食事摂取量が少ない患者様がいます。放置しておくと全く食事に手をつけません。この場合、看護師は「食事摂取量が少ない」ということを看護問題として挙げるでしょう。ここで忘れてはいけないことがあります。私たちは看護問題に介入する訳ではありません。その問題の、関連因子(原因)に介入していくのです。

 看護問題自体に介入する場合、この事例では食事摂取量を増やすことが目標となり、「食事を食べなくてはいけない理由を説明したり、ひどい看護師になれば嫌がる患者様に無理やり食べさせて摂取量を確保したりするでしょう。信じられないことですが、こんな看護師が実際にいます。でも、私にはそれが看護だとは到底思えません。そんなことは援助の専門家である看護師でなくても誰にでもできます。

 では、看護師はどのように関わればよいのでしょう。関連因子に介入するため、「なぜ、この患者様は食べられないだろう?」と患者様の心に目を向けます。食べられない理由は患者様に聞いてみなければ分かりません。患者様と向き合って話をしましょう。何か不安なことがあって食欲がないかもしれませんし、どこか痛いところがあって食べられないかもしれません。食べると気持ちが悪くなるのかもしれませんし、太ることを気にして食べないのかもしれません。患者様それぞれで違った理由があることでしょう。その理由(関連因子)に対して、私たちは介入していきます。不安なことがあるなら、その不安が解消できるように、痛いところがあるなら、痛みが軽減できるように…私たちは関わっていく必要があります。

 この事例で言えば、私たちが目指すところは、患者様自身がご飯を食べたいと思えることであって、患者様に「美味しいね」と言って食べて頂けることになるでしょう。とにかく食事摂取量を増やせば良いという訳ではないはずです。当たり前のことですが、どうしても問題自体に焦点を向けてしまう看護師が多いです。あなたの看護は、どちらの看護でしょうか。



 もう1つ、事例を出してみましょう。とても尿にこだわり、トイレに通ってばかりいる患者様がいます。他覚的にみれば、尿量は2000mlを超えているし、泌尿器科的にも問題がないとされています。このとき、私たちはどのように関わったらよいのでしょうか。

 やはり、私たちは「なぜ、そこまで尿にこだわるのだろうか」と考える必要があります。そのためにも、患者様と話をする必要があります。尿意はあるのに思うように排尿できないのかもしれませんし、つねに残尿感があるのかもしれません。尿が濁っているのが気になっているかもしれませんし、尿意がはっきりしなくて失禁するのが不安なのかもしれません。

 尿にこだわる患者様に対して、ついつい「おしっこはいっぱい出ているから大丈夫だよ」なんて説明をして納得させようとすることがあります。でも、それで納得する訳がありません。なぜなら、必ずしも尿量が確保できているかどうかを悩んでいる訳ではないからです。患者様が何を悩んでいるのかを正確に把握しなければ、患者様を癒す看護は行えないでしょう。

 また、尿にこだわる患者様はトイレに通ってばかりいますが、車イスでの介助が必要でした。前回の排尿から1時間も経たないうちにトイレへ行き、「出ない」と嘆いていました。このとき、あなたはどのような声掛けをするでしょうか。「1時間では出ないのが当たり前だから」と説明して安心させるでしょうか。私はそうでした。でも、これは誤った介入であったと思います。なぜなら、患者様はたとえ1時間しか経っていなくても、尿が出るかもしれないと思ってトイレへ来たのですから。ちょっと考えてみれば分かります。尿意があるのに出すことができなかったら、どんなに気持ち悪いことでしょう。このとき、私たちに出来ることは、出ないと嘆く患者様と一緒に悲しむことでしょう。



 これから看護師を目指そうとする人々、すでに看護師として働いている人々に、分かっていてもらいたい。患者様は悩んでいます。何らかの問題を抱えているから入院しているのです。私たち看護師は、その患者様を癒し続ける存在です。患者様の心に目を向けましょう。患者様と向き合って話をしましょう。決して患者様に対して決めつけをしてはいけません。「あの人はああいう人だから」と流してしまわず、「なぜ」を考えていきましょう。患者様の言動には、すべて何らかの理由があるはずです。厄介と思える患者様がいたら、なおさら、なぜそのような言動をするのか考えてみましょう。そして、その原因に対して介入してきましょう。決して表面上の問題だけに捕らわれることがないように。患者様の心に目を向けて看護をしてきましょう。当たり前のことだけど、見失いやすいことでもあります。

2003/11/04(Tue)
私の看護観

 看護師になって1年と半年が経過しようとしています。学生時代には、ぼんやりとしていた自分の看護観というものが、かなりはっきりしてきたように思います。まだ老年科と神経内科という2つの科しか経験していませんが、私がしたい看護はALSの看護にあるように感じました。

 ALSとは、筋萎縮性側索硬化症という病気のことで、全身の筋が徐々に萎縮していってしまう病気です。たいていは四肢のどこかから脱力が起こり、最終的には自力で身体を動かすことが全くできない状態になります。そして、物を飲み込む筋肉や、呼吸をするための筋肉まで動かなくなってしまいます。筋肉が萎縮していく以外、基本的に症状はなく、ALSが原因で血圧が変動したり熱が出たりすることはありません。頭もクリアなままです。難病中の難病と言われている病気で、超有名な病気なのに治療法が全く確立されていません。呼吸筋まで麻痺してしまうため、放置すれば死が待っています。

 ALSでは進行してくると、自分では身体を全く動かすことができなくなるのですが、頭は非常にクリアです。よって、いろいろな欲求を自分では満たすことができないため、他者がさまざまな介助をしなくてはなりません。はっきり言って、進行したALS患者が病棟にたった一人いるだけで、看護者の負担は激増します。そのため、ALS患者に対してマイナスの印象を持っている看護者もいます。

 しかし、私がしたいのは、そのALS患者の看護です。ALS患者の看護は非常に奥が深いです。呼吸筋麻痺が進んでくると、人工呼吸器をつけるかどうかを決断しなくてはならなくなります。人工呼吸器をつければ、5年・10年という単位で生きることができます。ただし、その何年もの間、ずっと寝たきりで、自分では指先を少し動かすことすらできない状態が続きます。話すこともできないため、目で文字盤を追って他者に自分の意思を伝えます。最終的には目も動かなくなるため、他者に自分の意思を伝えることすらできなくなります。それでも、頭はボケたりしません。まるで植物人間のように見えるけど、私たちと同じように五感が働いているし、考えることもできます。そんな状態が何年も続くとしたら…想像もできないほど、辛いですよね。だから、人工呼吸器をつけないという決断をする患者さんもたくさんいます。ただ、人工呼吸器をつけなければ、まともに息を吸うことができず、苦しくてたまらない…そんな状態がしばらく続きます。人工呼吸器をつければ楽になれる、そう分かっていても断じて呼吸器をつけずに亡くなっていく患者さんもいます。

 どちらにしても、辛い辛い決断になると思われます。実際、患者さんは本当に悩まれます。もし自分がALSになったら?あなたなら、どうしますか?想像もできないことでしょう。私は、受け持ちであったALS患者に、この質問をされました。答えに困りましたが、正直に答えました。「私なら、息苦しさに耐えられずに呼吸器をつけてしまうでしょう。」と。

 ALS患者さんは、例えばこんなことまで悩まれます。「人工呼吸器をつければ、もっと長く生きられるのに、つけずに死を選択するということは、倫理的にはどうなのでしょうか?」…涙される患者さんの横で、私まで涙が流れてきます。1時間も2時間も、時間を惜しまずに患者さんと話をしました。もちろん勤務中にはできないので、勤務が終わってからということになってしまいますが。

 私がしたい看護というのは、治療法がない患者さんの、限られた残りの人生を、その人らしく生きられるように援助するような看護です。例えば、身体は全く動かせなくても頬のわずかな動きだけでパソコンを操作することができます。それでホームページを作ったり、ビジネスをしたりしている方もいます。人工呼吸器がついた状態で、友達と旅行したりして楽しんでいる方もいます。身体の機能が失われたからと言って、それで終わりって訳ではなくて、あとは寝たきりのまま暮らすって訳ではなくて、残りの人生をどう生きていくか、どうしたらもっと自分らしい生き方ができるのだろうって、そんなことを患者さんと一緒に考えて生きたい。そのためにも、まずは自分の疾患を受け入れて、治らないということも受け入れて、新たな一歩を踏み出す必要があるのだと思います。その一歩を踏み出すのも容易なことではありません。でも、生がある限りは、生きている喜びを感じて欲しい。死が身近にあることよりも、今は生きている、そう考えられたら、素敵だと思います。私は看護者として、患者さんの苦しみを少しでも軽減して、その人らしく生きていけるように援助していきたい。つらいことはたくさんあるけれど、それでも生きていて良かったと思える瞬間を、患者さんには持ってもらいたい。病気に負けず、塞ぎこむのではなくて前を向いて生きていてもらいたい。簡単なことじゃないけど、そうあって欲しい。私はそのためのお手伝いをしていきたい。

2003/09/11(Thu)
できる看護師

 学生時代…もしくは患者の一人として、看護師はナースコールに対応するのが当たり前だと思っていた。しかし、実はそうではないことが分かってきた。一般の方々や看護に夢見る学生さんには少しショックな内容かもしれないけれど…

 はっきり言って、看護師の仕事は忙しい。特に夜勤などは看護師2〜3人で患者さん50人ほどを看ることになる。冷静に考えてもちょっと無謀…言い訳したいのではなくて、事実としてかなり忙しいということを理解して頂きたい。

 普段はナースコールを鳴らさない患者さんがナースコールを鳴らした場合、「どうしたのだろう?!」と心配になって飛んでいく。しかし、あまりにも頻繁にナースコールを鳴らす患者さんは、鬱陶しがられることになる。

 狼少年の話ではないが、今すぐでなくても良いようなことを、わざわざナースコールで知らせてくる患者さんに対しては、「またどうでも良いようなことだって」と後回しにされることがある。恐ろしいことだけれど、それも仕方ないと思えてしまう自分が情けない…。

 正直、いけないとは思いながらも自分自身もナースコールを鳴らす患者さんを鬱陶しいと感じてしまうことがある。例えば、痴呆により被害妄想のある患者さんがナースコールを鳴らし、「ここに靴を置いておいたんだけど、どこにやったかね?」なんてことを言い出されると、「忙しいんだから、そんなことで呼ばないでよー!」なんて思ってしまうことがある。申し訳ない…。

 逆に、患者さんからナースコールの対応について苦情を受けることもある。苦しくてナースコールを押したのに、いきなり「なにー?」とか「なんだったー?」なんて言われると気分が悪いということであった。確かに納得…せめて自分だけでも気をつけようと思う。

 実際の問題として、一緒に働くスタッフにも、「それってどうなん?」と思える対応をする准看護師がいた。「なんだった?それって今じゃなきゃダメなことぉ?」なんて言っている。冷静に考えれば、今でなければダメだからナースコールを押してきていると分かるのに、忙しいと「それどころではない」なんて考えが先行してしまうようである。

 忙しいからと言って仕事を疎かにして良い訳がない。「できる看護師」になりたいと思うとき、ついつい「仕事をこなせる看護師」だと思ってしまうことがある。でも、実際にはそうでなくて、忙しかろうが、疲れ果てていようが、患者さんに優しく、丁寧に接することができる看護師こそ、「できる看護師」だと思う。本当の意味でできる看護師になりたいものだ。

2002/06/21(Fri)
看護観の変化

 看護師となってもう2か月と3週間が経過した。学生時代にはイメージでしかなかった看護師の仕事が、だいぶ身に染みて分かるようになってきた。そこで今一度、自分の看護観について振り返ってみたい。

 学生時代の私は、決してICUや手術室には行きたくないと思っていた。外科も大嫌い。なぜなら、それらの部署では、私の目指す「患者さんを支える看護」という感じではなく、「患者さんを観察する看護」という感じがしていたから。

 ただ、今になって思うのは、患者さんを支えるためには、患者さんを観察する技術も非常に大切だということ。患者さんのことを考えてあげるためには、患者さんのことをよく分かっていなければならない訳で、患者さんの今の状態をうまく把握できていないようでは、決して良い看護はできないと思うのである。

 例えば、ICUから転棟してきた終末期の患者さんがいる。今の私は、その患者さんに対して「怖い」という感情を抱いて避けてしまう。「私には看れない…」そんな弱音が出てくる。確かに今の私の知識や経験では、受け持つことは難しいだろう。でも、そんなことでは一人前の看護師とは言えない。

 患者さんが危ない状態であればあるほど、私たちがしっかり見守る必要がある訳で、そのような患者さんを避けているようでは、ダメだと思う。心を支える看護…それももちろん大切だけど、それだけが看護ではなくて、心身ともに見守り支えるのが看護であると思えてきたのである。

 今の内科で、ある程度ケアというものを経験できたら、今度はICUに行ってみるのも良いかもしれないと思い始めてきた。別にICUで働きたい訳ではないが、重症者でもしっかりと看てあげられるような知識と経験が欲しいのである。勉強のために…なんて言うと動機が不純なのかもしれないけど、何年間か修行を積むには最適の環境かもしれないと思う。

2002/06/21(Fri)
人の死に対面して

 看護師になって2か月ちょっとが経過した頃、勤務が終わってナースステーションで記録を書いていると、一人の看護師がポータブルの心電図モニターを取りに来た。ある患者さんが危険な状態とのことだった。

 その患者さんは、もともとナースステーションで確認できる心電図モニターもつけていたので、その波形を見てみると…ちょっと変な波形をしていた。まだ未熟な私にも、その患者さんの波形がおかしいということはすぐに分かった。

 「波形がおかしい」…呟くと、先輩も「ホントだ、おかしい!」と…。そのままモニターを見ていると、どんどん波形が変わっていく。心拍は160くらいに上がり、ただ上下に振れるだけの波形になっていった(心室性頻拍:VT)。

 その後、波形は徐々に力を失っていき、徐々に平坦になっていく…そして最後には、全く振れることのない平坦な線になってしまった。心拍数0…「ARREST(心停止)」の文字が点滅していた。

 別チームの患者さんだったので、あまり情報を得ておらず、それほど危険な状態だとは知らなかった。確かにその日は自動血圧計のアラームが鳴りっぱなしだったけど…かなりショックだった。特に力尽きていく心臓の動きをモニターで見続けていたから…

 人はこうして息絶えていくのだな…そんな気分でいっぱいになってしまった。悲しい…別に何の思い入れがある患者さんでもなかったのだけど、やはり人が死ぬというのは悲しい。

 患者さんが亡くなったとき、涙を流すことは専門職としてあってはならないこと…そんな話を聞いたことがある。しかし、私は納得できない。患者さんが亡くなったら、悲しくて涙を流すような看護師であり続けたい。場合によっては、半ばパニックとなって泣き喚く家族と一緒になって涙を流しても構わないと思う。

 もちろん感情的になって看護師として果たすべき仕事ができないようではダメだと思うけど、私たちが一緒になって涙を流すことで、家族も少しは心が安らいだりしないだろうか?なんて思う。患者さんが亡くなることに慣れて、“また患者さんが一人亡くなった”などと考える看護師には決して成り下がりたくない。

 歳をとっておじさんになったとしても、患者さんが亡くなったことを悲しみ、涙を堪えながらケアを続ける看護師でありたいと、私は思う。

2002/06/17(Mon)

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